不登校の次男の物語~クリスタルチルドレン

8月25日、
次男が15才の誕生日を迎えた。
15年前の今日のことを
今でもはっきりと覚えている。
次男は神戸市にある
毛利助産院で生まれた。
当時私たち家族は
新潟県上越市に住んでいたにも関わらず
出産の日には
ジャカルタから駆けつけた妹も
立ち会ってくれて
奇跡のような1日だった。

次男がお腹にいると分かった時から
「赤ちゃん、生まれて来ないでね~」
と私のお腹に向かって
話しかけていた長男。
3才の小さな心の中で
新しい家族の誕生は
大好きな母親を取られるという
想いにかられたのだろう。
そんな風に幼い長男からも
私は母として愛され
とても幸せだったと思う。

次男の出産で
医師の手を借りない
助産院を選んだことは
私にとって大きなチャレンジだった。
なぜなら
3年前の長男の出産では
妊娠中に「羊水過多症」という
原因究明の病気になり
兵庫県立子ども病院に入院し
出産したからだった。
でも私の中のある
「助産院で産みたい」という衝動を
止めることはできなかった。
偶然にも新潟県上越市の自宅で
8ヶ月検診に来て下さった助産師さんは
5人の子供を育て
そのおおらかな人柄から
絶大な人気を誇る女性だった。
助産院で出産することを迷っていた私は
その助産師さんに相談した。
「長男の妊娠中に病気をした私が
助産院で産めるのでしょうか?」
今でも彼女の言葉は
私の心に奥深く刻まれている。
「必ず夢は叶うと信じ、祈るのです」
その力強いメッセージが
私の背中を後押しし
私は助産院で産むことを決意したのだ。

2004年8月25日、
毛利助産院で私は次男を産んだ。
毛利助産院は3階建ての一戸建てで
エレベーターもあり
助産院と言うよりシェアハウスのような
温かさがあった。
陣痛が始まっても
横たわるベッドもない
広い部屋の中に
助産師2人の他に助産師見習いの学生が
3人もいた。
学生の立ち会いは予想外の展開だったが
正直、陣痛の痛みの中では
誰がいようと気にならなかった。
病院と違って普通の家と変わらない
安心感漂う部屋の中で
私を見守る5人の女性たち。
出産はベッドに横たわってと
思い込んでいた私は
思わず助産師さんに聞いた。
「どうやって産んだらいいのですか?」
「ご自分で赤ちゃんと対話して
産んでください」
私は返って来た言葉にたじろいた。
まだ生まれて来ない
赤ちゃんとの対話を
どうやってするのだろう?
とても不安になった。
ただ今、分かるのは
お産とは自然の摂理であること、
「赤ちゃんが生まれる」
その母と子の生への営みは
誰にも手出しできない
神聖なものであるということだ。

どうやって産もう?と思いながら
陣痛は絶え間なく私を襲い
目の前に置いてあった椅子に
苦しくて必死にしがみついた。
毛利助産院でのお産は
フリースタイルである。
本当に自分の好きな格好で
産んでいいのである。
きっと太古の人々も
こんな風に自由に命を
紡いでいったのだろう。
結局私は目の前にあった椅子に
しがみついたまま破水した。
この世のものとは思えない痛みが
私の身体を駆け抜け叫んでいた。
「痛い~‼️」
私がつかんだ椅子がガタガタ揺れる音と
途中から駆けつけた
私の家族の励ましの声。
全身全霊でお産に集中している時に
応援の声など要らなかった。
助産師さんが妹に厳しい声で
「話しかけないでください!」と
注意していた。
私の長男や妹の子供のいる気配が
雑念に等しく
2度と立ち会い出産はしないと
心に誓いながら
私は迫り来る激しい痛みに耐えていた。
すべての世界が白い光に包まれていた。
あまりの痛みに私の意識は遠のき
まわりの人間はかたずを飲んで
新しい生命の誕生の瞬間を
見守っていたのだと思う。
助産師さんの声だけが
暗闇の海の道しるべの
灯台の光のように
私を導いてくれた。
嵐のようなすざましい痛みの後に
突然力が抜け
赤ちゃんは産まれた。
台風の後の穏やかな海の凪のように
すべてが美しく平和に包まれていた。
私の中から産まれた新しい命が
私の胸元で私の乳房をまさぐっていた。
この喜びを、この瞬間を知るために
母と子は出会うのだ。
ただ、ただ、すべてが
愛と感動に包まれていた。
おめでとう
おめでとう
天使が歌っていた。

生まれてきたNaoyaは天使だった。
私は心優しく、繊細なNaoyaが
可愛くてたまらなかった。
小さい頃からアレルギー体質のため
私は私のもとに舞い降りた天使を
守り続けていた。
頭も良く、友達にも優しく
なにもかも完璧にこなしていた
Naoyaが
小学6年生のある日突然
「ぼく、学校には行かない」と
言った時から
私は今度は世間の常識、社会から
息子を守る「盾」となった。

本当に天使に祈るだけだった。
3年に渡る不登校は
Naoyaを天使から一人の立派な少年に
生まれ変わる大切な時間をくれた。
それは「不登校」という時代を
過ごした家族に
大変な試練の時も与えた。
天使だったNaoyaが
中学校の制服に身を包み
「行って来まーす!」と走っていく姿を
見送る度に
こんな日が来るとは夢にも思わなかったと
安堵する。
でも15年前に
助産師さんの言葉が私の心に
希望の光を灯してくれた時のように
「夢が叶うことを信じ、祈り続けること」
ただその想いだけが
私を支えてくれていた。
家族の中心となる母親が
大地にしっかりと
根をはりめぐらしていれば
子供は迷わない。
女性は優しく、美しく
たおやかでありながら
時には炎のような強さも求められる。
私はこれからも真っ直ぐな瞳で
目の前に広がる私の道を
歩いていく。
いつも心には「愛」を抱いて。
私を選んで産まれてきてくれた
愛する子供たちのために
いつまでも輝いて生きていこう。
私の命尽きる日まで。
私の中に燃える愛と情熱の炎が
私に出会う人たちの心を
照らしてくれるだろう。
それが私の生まれて来た私の役割ならば
私はその使命を全うする。
愛する子供たちの誇れる
母でいるためにも
転んでも、つまずいても
必ず笑顔でいよう。
愛している、私の子供たち
地球のすべてに感謝を捧げながら。


