スイス~心の故郷への旅

私はスイスに行くのが怖かった。
もともと次男のスイス留学が決まった時に、子供の父親はスイスに行くと決めていた。
私は絶対に行かない、そんなお金があるなら次男に送金しようと思っていた。
でも次男の留学が目に見えて形になっていく中、私のハートはざわついていた。
次男は大学入学時から常に言っていた。
僕は大学4年になったら海外に留学すると。
次男は小学6年生のある日、学校には行かないという道を選択した時から、自分の意志を貫く子だった。
幼少の頃から、目を見張るほど賢く、美しく、優しい次男は、天使を彷彿させるほどまぷしいオーラに包まれていた。
そして、大学に入学してからは取りつかれたように勉学とバイトに明け暮れ、まるでサラリーマンのようだと私は傍観していた。
海外留学の夢を叶えるために、食卓では英語の映画やドラマを観てリスニングの練習、留学に必要なIELTSの試験の勉強と寸暇を惜しんで、次男は目的に向かって走っていた。
IELTSの合格点の取得、大学の面接試験、奨学金の申請、現地での寮の申し込みと、一つずつ段階を経て、次男のスイス行きの留学は現実のものとなっていった。
次男の喜びで輝く顔をよそに、私は一人取り残された気持ちで埋めつくされていた。
みんな、私のもとからいなくなってしまう。
そんな焦燥感が生まれるのも、柴犬モモとの悲しい別れの傷が癒えてないと知りながらも、2026年2月9日、次男の旅立ちの日を迎えるまで私は落ち着かなかった。
留学前日は深夜まで、次男と2人でスーツケースの荷造りに追われていた。
制限キロ数を40kgを越えないために、優先順位を決めて何度も荷物を詰め直した。

エッシネン湖の登山口に向かう道のり
出発日は、大学の親友と彼女が見送りに来てくれて、次男の幸せそうな顔を見ると私も安堵の念に包まれていた。
関空での見送りの時、私は決して涙を見せなかった。
次男があまりにも透明で美しく、希望に満ちあふれていたから、悲しみよりも喜びの方が大きかった。
でもその数日後に、私の中で蓄積されていた悲しみが一気に爆発した。
長男の何気ない言葉に、私は突然、感情をむき出しにしていた。
長男が月にゲームに2万円ほど課金した話が耳に入った瞬間に、私の中で溜まっていたなにかがあふれ出したのだ。
どうして?どうして?大切なお金をゲームの課金に使うのって、ママはこんなに我慢しているのにって、私は呆然とする長男の前で泣き叫んでいた。
あんなに泣いたのは久しぶりだった。
いつも長男は揺るぎない大地のように優しく、私を包んでくれていた。
長男はまぎれもなく偉大なるヒーラーだった。
長男は静かに言った。
僕がボーナスが出たら航空券を買ってあげるから、スイスに行って来なよ
その一言で、スイス行きは決まったのだ。

私は2014年に魂の伴侶と出逢い、別離後、2年間はスピリチュアルな学びを得るために、飛行機に乗って飛び回っていた。
でも天使の世界の扉を開け、自分の在るべき場所は子供たちのところだと、ハートが告げてから10年、子供たちのそばにいた。
2016年に不登校の次男を連れてアメリカ、セドナに行ってから、もう二度と海外に行くことはないと思っていた。
次男のスイス留学が決まった時から、私の人生も大きく揺り動かされていくことを感覚で知っていた。
私は長男が提案してくれたその日に、次男とLINE電話で話し、真っ先にチューリッヒ行きの航空券を取得した。
クレジットカードの決済を終えた瞬間に覚悟は決まった。
渡航日は、半年後の8月23日にも関わらず、私は全ての宿を予約し、勤め先の保育園に休暇を取ることを告げたのは、今年の3月のことだった。
私は昔からどうしよう?が口癖で、迷っているようで、いつも自分の中で答えが決まっていた。
そして、その迷いが決意に変わった時から、脇目もふらず目的地まで走り出していた。
その魂の力は、ヒーリングで心が癒えるたびに輝きを増し、自分の人生に起きる困難も全て光に変える女神力と変容していった。
ああ、私はなにを躊躇していたのだろう?
私はただ、最愛の次男に会いたい、それだけだった。
日程は、次男の誕生日の週にした。
8月25日、この日22歳を迎える次男をスイスでお祝いしたい、その想いが私をありとあらゆる不安、恐れを跳ねのけ、スイス行きを実現させたのだと思う。
忘れてならないのは、私をいつも支えてくれる長男の存在だ。
長男は私の渡航に合わせて、仕事を休むという決断をしてくれたから、私は家を空けれたのだ。
私の大切な家族、豆柴そら、猫のアン、ジョニー、ココの3匹を任せらるのは、長男しかいなかった。

ヴェンゲンアルプ駅までの道
航空券を取った時から、私は喜びよりも不安が大きかった。
それが私の心の奥底にしまっていた、12年前の魂の伴侶との別れの傷が癒えていないことを教えてくれた。
渡航日が近づくたびに、私は怯えていた。
私はきっとスイスに行けない、だって、あの日も突然、最愛の人と別れたのだから、その思いが出発直前まで私の心を埋めつくし、怖くてたまらなかった。
犬の散歩に行くたびに、怪我をするのではないか?それとも台風が来て飛行機が飛べない?
どんな想像をめぐらしても、結局私は8月23日に関空にたどり着いていた。
それも久しぶりの腰痛を抱えながら。
出国審査をしながら、私の中にいる幼い少女ははなかんでいた。
懐かしかった。
20代はこうして毎年、飛行機に乗って海外旅行に行っていた。
結婚した30歳で新婚旅行にスイスへ、31歳にはスペインに行っていた。
私はヨーロッパが好きだった。
それまでもイタリア、フランス、オーストリアと行っていた。
オーストリア、ニュージーランドにも行った。
私は海外旅行に行く時は、一国と決め、移動に時間を費やさないようにしていた。
だから今回も、グリンデルワルトとヴェンゲンの2ヶ所に宿を決め、帰国前日は空港に近いルツェルンを選んだ。
私は本当にスイスに行けるのだろうか?
そんな疑問は全て吹き飛ばされ、私はスイスの地にただ、癒やされつづけた。

今も恋しくてたまらない。
あの壮大な大地に帰りたかった。
スイスは私の心の故郷だった。
ただ、ただ、懐かしく、
いつまでもそこにいたかった。
私はまた空を渡って
心の故郷に帰るために、
26年という年月を超えて
スイスに行ったのだ。
特に私はヴェンゲンに魅了された。
きっと私は遠い過去世で
ここにいたのた。
どこまでも広がる山々、
私の頬に触れる風も、
木々もなにもかも懐かしかった。
安心した。
落ち着いた。
スイスに行ったら、
私の中でなにかが変わる、
と思っていた。
その通りだった。
私の魂は、スイスの地を
追い求めていた。
私は次の渡航が何年先か分からなくても準備を始めていた。
改めてスイスまでの航空券、スイスの鉄道パスについて調べていた。
スイス現地では次男がいたから良かったものの、帰りのチューリッヒの飛行機が3時間、遅延した時、機長のアナウンスもスチュワーデスとの英会話もほとんど聞き取れなかった。
旅にはアクシデントはつきものだ。
まるで天使がプレゼントだよ、と微笑みかけるように、私は意図もせずスイスからの帰路、シンガポールに入国することになったのだ。
トランジット先のシンガポール空港で私が乗る予定だった飛行機はすでに飛び立っていた。
まわりに日本人はいなく、不安の波に押しつぶされそうになりながら、私はChatGPTを頼りに、入国手続きを終え、シンガポール航空が用意したホテルにチェックインした。
シンガポール空港からタクシー乗り場さえ分からずに、そして自分のスーツケースがどこにあるのかも分からずに、全て片言の英語と翻訳機能で事なきを得た。
私があまりにも英語を話せないためか、皆、親切だった。
海外に行く ためには英語を私は習得しなければならない。
そのスイッチが入った。
次男は楽しそうにどこに行っても会話していた。
次男の笑顔の裏にある、並ならぬ努力に心打たれた。
私は子供たちの誇りある母として生きていきたかった。
だから、決して逃げない。
私は心に夢を抱き、これからも全力で生きていく。
大天使ミカエルの導きと共に。

